運営代表 もりてっち
はじめまして!フリーランスの「もりてっち」です!ジャンルを問わず幅広い情報を発信するWebサイト【てんこ盛り情報局】を運営しています。わたしの自己紹介ページへお越しいただき、ありがとうございます!
サイト運営者のプロフィール
はじめまして。
プロフィールを簡単にまとめてみました。
ハンドルネーム | テンコ |
年齢 | サイト立ち上げ時は42歳 1981年生まれのかに座 |
拠点 | 東京都葛飾区 |
家族構成 | 妻と娘 |
出身地 | 東京都板橋区生まれの東北の三陸にある田舎まち育ち |
職業 | フリーランスでWebサービスを開発・提案 |
主な業務内容 | WordPressテーマの開発 Webサイトの制作 Webメディアの運営 Webメディアの運営サポート |
学歴 | 中卒 |
過去の職歴 | ナイトレジャー・風俗業界 建築現場作業員 |
好きなもの | ラーメン(激辛好き) お酒(ビール・ウィスキーハイボール) |
趣味 | 映画鑑賞 |
3人家族のWeb系フリーランス
わたしがWeb系フリーランスになったのは2022年の1月です。
東京都葛飾区の家族と暮らす賃貸マンションの一窒が、わたしの主な仕事場です。
WordPressテーマの開発を軸にWebサイトの制作、販売、運営をしています。
年の差婚した妻と娘の3人家族です
妻との年齢差は14です。わたしが1981年生まれで、妻が1995年生まれです。
妻は都内の企業に勤める会社員で、娘は2024年の6月に1歳になります。
生い立ち
生まれたのは東京都板橋区です。
2歳から母親の実家がある東北の三陸にある田舎町に移り住み16歳まで育ちました。
当たり前ですが板橋区の記憶は一切ありません。最寄り駅は成増だそうです。
海と山しかない田舎でわんぱくに育ちました
わたしが生後5ヵ月の時に両親は離婚したそうです。
2歳の時に母親の実家がある東北の三陸の田舎まちに移り住み16歳まで育ちました。
貧乏だったけど、自然に囲まれた環境で少しわんぱくな少年、青年時代を過ごしました。
フリーランスになるまでのストーリー
フリーランスになるまでのストーリーを紹介します。
高校を1年で中退し、17歳になるちょっと前に東京に出てきました。
半年位は東京、千葉、神奈川を当ても無くブラブラしてました。
17歳で水商売の道へ
期間 | 1998年~2005年 |
年齢 | 17歳~24歳 |
17歳の初冬に東京、千葉、埼玉にキャバクラ、ホスト、性風俗店を展開するナイトレジャーグループで働く事になりました。
17歳で水商売の道に進む事になったエピソード
このグループに入った時のエピソードは結構長くなるのでブログで紹介しています。
18歳になるまで公には表に出れないので、路上に出て店で働いてくれる女性のスカウトをしたり、店内からは見えないキッチン業務をしていました。
テンコのお水物語 18歳になるまでのこと
水商売のグループに入って18歳になるまでの物語をブログにしています。
働き始めて1年半で在籍していたキャバクラの店長に抜擢されました。
テンコのお水物語 過ちをし試練を乗り越え店長に
鼻が伸びた俺は業界の御法度をしてしまいました。与えられた試練を俺は乗り越えられるのか!?
それから数年はグループ内の複数キャバクラ店で責任者をしながら、新規店舗の起ち上げや、売り上げが低迷した店舗の課題を解決する仕事などをしていました。
22歳から東京、埼玉ブロックのキャバクラを統括する代表をしていましが、24歳の時にグループを辞めて、お水業界から離れました。
水商売から抜けた理由は、その時に交際していた女性と結婚をする事になったからです。
外壁リフォームの仕事
期間 | 2006年~2009年 |
年齢 | 25歳~28歳 |
25歳の時に交際していた元嫁と結婚をしました。
元嫁のお義父さんが外壁リフォーム業を営んでいたので、お義父さんにつき、建築現場の仕事をはじめました。
約7年、夜の世界にドップリとつかっていたので、お日様の下で汗を流す初めての現場仕事はかなりきつかったです。
マンションやビルの大規模改修工事が主な現場で、外壁調査をしてから劣化部分の補修工事をするのが主な作業内容です。小さい現場は外壁の塗装や防水工事をする事もありました。
外壁リフォームの仕事は約3年以上やりました。
空調設備工事(ダクト)の仕事
期間 | 2009年~2010年 |
年齢 | 28歳~29歳 |
外壁リフォームの仕事を辞めた後、従兄弟が営んでいる空調設備工事の仕事を1年弱やりました。
室内の仕事は天候が関係ないので安定して稼ぐ事ができました。この仕事で食っていこうと思っていたら体に異変が…。
目に映る物がタブって見える
期間 | 2010年 |
年齢 | 29歳 |
空調設備工で一人前になって食っていこうとおもっていた時に体に異変がおこりました。
現場帰りに車で信号待ちしていたら、信号が2つにダブってみえました。
より目にしたら、見る物がダブって見えませんか?そんな感じです。
朝から大手ゼネコンの現場、夜はテナントの現場で早朝まで仕事していました。
とても忙しかったので、最初は疲れでそうなっているとおもっていました。
症状は良くなりませんでした。
総合病院の眼科で色々な検査をしましたが、異常ありませんでした。
神経専門の大きな病院でも検査しました。
疑われる病気は難病指定されている「ミトコンドリア病」との事でした。
周りに迷惑をかけてしまうので建築現場で仕事するのは無理だとおもい仕事をやめました。
無職、東北の震災、引きこもり、離婚
期間 | 2010年~2011年 |
年齢 | 29歳~30歳 |
設備工事の仕事を辞めてすぐ、東北の震災がありました。
福島の原発事故の放射能問題で元嫁が子供を連れて鹿児島の離島に避難していきました。
お義父さんの仕事を辞めてから、夫婦の関係は悪くなっていました。
仕事も辞め一人になり、家に引きこもるようになりました。
子供たちはそのまま帰ってきませんでした。
それから約1年後に離婚しました。
まさか自分が、引きこもって社会に出れなくなるとはおもいもしまませんでした。
母ちゃんに助けられ引きこもりから抜け出す
母ちゃんの助けがあり、約1年の引きこもりから抜け出す事ができました。
離婚をした事で引きこもっていた足立区の一軒家を処分し、葛飾区の賃貸マンションから新しい生活をスタートする事にしました。
母ちゃんがいなかったら、引きこもりから抜け出す事はできなかったとおもいます。
職業訓練に通いながら水商売でアルバイト
期間 | 2012年 |
年齢 | 31歳 |
パソコンスキルを身につけるため、ハローワークで紹介してもらった職業訓練(Word・Excel初心者コース(3カ月))を受ける事にしました。
10万円の職業訓練給付金をもらえる条件に当てはまらなかったので、訓練のない時間にアルバイトをする事にしました。
水商売をやるつもりはなかったのですが、求人に「カフェ」と記載してあったので、応募して面接に行ってみると小箱の「キャバクラ」でした。
店長と話して、色々融通がききそうだったのでアルバイトする事にしました。
キャバクラでのアルバイトが引きこもりのリハビリに丁度良かったです。
ロープアクセス工法の会社に入社
期間 | 2012年~2014年 |
年齢 | 31歳~33歳 |
職業訓練が終了して半年位は就職活動をしながらキャバクラのアルバイトを続けていました。
ロープアクセス工法でマンションやビルの外壁調査や改修工事をする小さい会社に入社する事になりました。
職業訓練で学んだパソコンスキルも役に立つ作業内容だったので、この会社に入社することにしました。
ロープアクセスは基本一人作業で、以前やっていた外壁リフォームのスキルも活かせるとおもい、この仕事に決めました。
ロープアクセスでの作業は初めてですが、以前やっていた架設足場上での外壁リフォームの作業を、ロープにぶら下がった状態でやる、だけの違いなので、すぐに仕事を覚え、現場を任せてもらえるようになりました。
材料や道具を持って、足場を歩くよりずっと楽で、ダブって見える自分にはとても合っていました。
怪我をしてまた水商売にもどる
期間 | 2014年~2016年 |
年齢 | 33歳~35歳 |
ロープアクセス事業している会社に入社して1年以上たった頃、仕事中に踵を骨折してしまいました。
ロープアクセス工法で外壁調査する場合は、建物の規模や調査する場所によって、早く終わる現場は1時間もかからない事もあります。
その日は3現場を調査しなくてはいけなかったので、普段は脚立をはしごにして降りる所を使わずにジャンプしてしまい、踵を骨折してしまいました。
安全を完全に無視した行動です。とても恥ずかしいです。
松葉杖を使わずに歩けるようになるまで3ヶ月かかる怪我でした。
仕事を休む事になりました。
休んでいる時にアルバイトしていた小箱のキャバクラの店長から「グループのキャバクラ」を手伝ってほしいと連絡がきました。
「松葉杖がないと歩けない」と断りましたが、「座って会計業務とインカムで女の子の付け回しを指示してくれればいい」と頼まれたので手伝う事にしました。
とても暇だったので手伝う事にしました。
かなり暇なお店でした。
自分だったらお金を払って絶対に行きたくないお店でした。
運営スタッフはだらしなというか不潔、掃除もろくにしてないからお店の至る所が汚い。
当然ですが、在籍しているキャストも酷い。
キャバクラとは言えない有り様でした。
店の場所や箱は良いのに「運営スタッフがポンコツだとこうなるよっ!」って見本があったらピッタリなお店でした。
場所や箱はかなり良かったので、普通に当たり前の事をすれば直ぐ良くなるとおもっちゃいました。血が騒いじゃいました。
オーナーにも頼まれていたので、お店を再生するため、もう一度水商売に戻る事にしました。
半年後には月の売り上げが倍以上になりましたが、客引き行為で営業停止処分をくらいました。
考え方の違いでオーナーに愛想をつかし、水商売にうんざりし店を辞めました。
性風俗店に転職し独立を考える
期間 | 2016年~2017年 |
年齢 | 35歳~36歳 |
キャバクラを辞め店舗型ヘルスやデリヘルを関東中心に展開する業界大手の風俗グループに入社しました。
配属先は店舗型ヘルスでした。
風俗にはまったく興味ありませんでした。ガキの時に吉原の高級店に行った事がありますが、全然面白くなかった。それから遊んだ事がありません。
興味のない性風俗店に決めた理由は、福利厚生が良かったからです。
求人に記載してある条件や福利厚生がとても良く「本当に?虚偽だろー?」と疑っていましたが、面接し入社したら本当でした。
昔では考えられないです。業界も変わったなーとおもいました。
実際に仕事してみて更に驚いたのがシステムとWeb広告の凄さでした。
使い易く分かり易いタイムテーブルと顧客管理システムが連携していて、全てがパソコン業務で完了するシステムに衝撃を受けました。
当たり前ですが、客引き行為(違法)は一切しません。
集客はWeb広告のみ。
求人もほとんどがWeb広告による求人ですが、たまに契約しているスカウト会社の紹介もありました。
違法な客引き行為や深夜営業で売り上げを維持し、威張っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
性風俗業界で独立したいとおもうようになりました。
独立の誘いがあり2度目の職業訓練「Webデザイン・開発科」を受講することに
期間 | 2018年 |
年齢 | 37歳 |
大手性風俗グループのWebによる集客や求人の凄さを知り、もっと勉強して独立したいとおもっていました。
そんな時に、知り合いから共同で出資して、女性が接客するお店(キャバクラかガールズバー)をやらないかと誘いがありまいた。
このままダラダラと雇われでいるのは嫌だとずっと考えていたので、いい機会だとおもい、その話しに乗ることにしました。
水商売や風俗業界にずっと雇われでいるのは、言葉は悪いですが、奴隷でいるのと同じだと俺はおもっています。
すぐに大手性風俗グループに辞表をだしました。
共同出資者には、6か月だけ待ってもらいました。
6か月だけ待ってもらったのは、職業訓練で「Webデザイン・開発科」を受講したかったからです。
何の商売をするにしても、Webによる集客や人材確保は必須だと考えていて、自分でもある程度は仕組みを理解できる知識がほしいとおもったからです。
せめてホームページ位は自分でも作成できるようにはなりたかったです。
その話がくるまえから、職業訓練「Webデザイン・開発科」のことは調べてました。
丁度いいタイミングで受講することができました。
職業訓練「Webデザイン・開発科を受講した時のこともブログで紹介しています!
独立を諦め大手風俗グループのIT事業部に入社
期間 | 2018年~2021年 |
年齢 | 37歳~40歳 |
共同出資者が出資できなくなってしまったので、職業訓練が終了してすぐに実務を経験するために大手風俗グループのIT事業部に正社員として就職しました。
グループの店舗サイト製作だけでなく、風俗業態以外の製作や運用も行っていました。
このグループも以前の大手風俗グループと同等に福利厚生が充実していました。
入社した時から現場で実務を経験し数年後フリーランスとして独立しようと考えていました。
約2年つとめたあと、現場を経験させてもらったこの会社を退職しフリーランスになりました。